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文と絵・ 阿部夏丸 作家)

 明けましておめでとうございます。
 
 今年は巳年。そんなわけで、今回は、ちょっぴりヘビーなヘビの話などを。
 玄関を出たら、家の前にある公園で遊んでいた小学生に声をかけられた。
 
「なつまるさん、もう、年賀状書いた?」
 
 年始の挨拶はメールで済ましているので、もう何年も、年賀状など書いていない。
 
「でも、どうして?」
「どんなヘビを描いたのかなぁと、思ってさ」
 
 3年生の彼が、『なんちゃって絵手紙』の講座に参加してくれていたのを思い出した。
 
「キミは、どんなヘビを描いたんだい?」
「ヘビはさ、怖いから描けんかった」
 
 ヘビは太古の昔より、小型の哺乳類の捕食者。潜在的にヘビを怖がるのは、あながち間違ったことではない。しかし、よく観察してみれば、なかなか美しく、面白い生きものである。
 
「どうして怖いのかなぁ」
「だって、足無いし」
「サカナだって、足は無いだろ」
 
 ヘビに足がないのは、大昔、ヘビが地中暮らしをしていた時代の名残らしい。足の代わりに300個もある背骨で体をくねらせ、肋骨を動かして歩行する。
 
「それにね、ガラガラヘビやコブラみたいな毒ヘビもいるし。ヤマカガシの毒はマムシよりヤバイんだぜ。あとさ、アナコンダなんかウシを丸呑みしちゃうんだ。う〜、ヘビは嫌いだ」
 
 嫌いといいながら、やたらとよく知っているので、実は「好きでは?」と思えて笑える。
 
「オレが子どもの頃は、どこの家にもアオダイショウがいたよ。ネズミを食べてくれるから、大事にしてた。最近の家は、隙間風も入らないから、アオダイショウも暮らし難いだろうなぁ」
「まじ?」
 
 少年は信じられないといった顔で、ポカンと口を開けていた。たった50年前の暮らしが想像もできなかったのだろう。
 
 ヘビは昔話や民話にも、よく登場する。しかし、怖いイメージとは裏腹に、神聖で縁起の良い生き物として、古くから信仰の対象ともされてきた。
 
 さて、初詣は熱田神宮にでも参拝しようか。
 
 熱田神宮が祀るのは、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)。この剣はスサノオが退治したヤマタノオロチ(八頭の大蛇)の尾から出てきたものと、日本書紀にある。


 先日、豊田みよし親子劇場さんの招待を受け、劇団コーロの『天満のとらやん』というお芝居を観に行った。いわゆる、児童演劇である。パンフには、舞踊唄芝居とあった。つまりは和風歌劇、ミュージカルが苦手な僕は、若干心配になった。
 ところが、芝居が始まると…。
「チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、
 ウナギを一匹買うてきて、まな板の上にねーかせて、キリでえいやっ! すると、にょろりと逃げ出した。あっ、こらまてウナギどーん。とらやん、とらやん、どこいくねん。ウナギ追いかけどこいくねん。とらやんの冒険旅行のはじまり、はじまり〜」
 のっけから、驚いた。この芝居、太夫が語り、役者はほとんど台詞をしゃべらないという変則スタイルで、三味線や締太鼓など20種類をこえる和楽器を使ったお囃子が芝居を終始盛り上げるというシステムだ。いつも観る演劇とは違うので、一瞬、子どもたちも戸惑ったようだ。しかし、子どもたちは、あっという間に目をキラキラと輝かせ、リズムに乗って体を揺らし始めた。楽しいのだね。子どもの対応能力もさることながら、つくづく音楽(音)の力ってすごいなと思った。
 もうひとついえば、関西弁の語り口が魅力的なこと。関西弁は、柔らかなのに、大阪人のバイタリティやエネルギーが込められている。だから、どんな悲しい言葉もどんな乱暴な言葉も、やわらかで心地よく耳に入るようだ
「チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ…」
 それから舞台のとらやんはウナギを追いかけて、雲の上から海の底まで大冒険を繰り広げるわけだが、民話や落語、狂言などの面白みを感じ取ることのできる楽しい舞台であった。
 大学生のころ、芝居役者に憧れていた。僕は絵画を専攻していたのだが、美術、音楽、文学の総合芸術が演劇だなどと生意気なことを思い、劇団を立ち上げた。エロ、グロ、ナンセンス、何でもありのアングラ劇団だ。
 アングラと児童文学、人からは「方向性が真逆だね」と驚かれるが、案外根っこは同じなのかもしれない。人に伝え、楽しんでもらうこと、それが1番だ。
 もう、若いころのように、役者に憧れることは無いのだが、今、僕にできることは、川について話すことぐらいかなぁ。
『川の語りべ』なんて、中々格好いいではないか。

 

 先日、豊田みよし親子劇場さんの招待を受け、劇団コーロの『天満のとらやん』というお芝居を観に行った。いわゆる、児童演劇である。パンフには、舞踊唄芝居とあった。つまりは和風歌劇、ミュージカルが苦手な僕は、若干心配になった。
 ところが、芝居が始まると…。
「チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、
 ウナギを一匹買うてきて、まな板の上にねーかせて、キリでえいやっ! すると、にょろりと逃げ出した。あっ、こらまてウナギどーん。とらやん、とらやん、どこいくねん。ウナギ追いかけどこいくねん。とらやんの冒険旅行のはじまり、はじまり〜」
 のっけから、驚いた。この芝居、太夫が語り、役者はほとんど台詞をしゃべらないという変則スタイルで、三味線や締太鼓など20種類をこえる和楽器を使ったお囃子が芝居を終始盛り上げるというシステムだ。いつも観る演劇とは違うので、一瞬、子どもたちも戸惑ったようだ。しかし、子どもたちは、あっという間に目をキラキラと輝かせ、リズムに乗って体を揺らし始めた。楽しいのだね。子どもの対応能力もさることながら、つくづく音楽(音)の力ってすごいなと思った。
 もうひとついえば、関西弁の語り口が魅力的なこと。関西弁は、柔らかなのに、大阪人のバイタリティやエネルギーが込められている。だから、どんな悲しい言葉もどんな乱暴な言葉も、やわらかで心地よく耳に入るようだ
「チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ…」
 それから舞台のとらやんはウナギを追いかけて、雲の上から海の底まで大冒険を繰り広げるわけだが、民話や落語、狂言などの面白みを感じ取ることのできる楽しい舞台であった。
 大学生のころ、芝居役者に憧れていた。僕は絵画を専攻していたのだが、美術、音楽、文学の総合芸術が演劇だなどと生意気なことを思い、劇団を立ち上げた。エロ、グロ、ナンセンス、何でもありのアングラ劇団だ。
 アングラと児童文学、人からは「方向性が真逆だね」と驚かれるが、案外根っこは同じなのかもしれない。人に伝え、楽しんでもらうこと、それが1番だ。
 もう、若いころのように、役者に憧れることは無いのだが、今、僕にできることは、川について話すことぐらいかなぁ。
『川の語りべ』なんて、中々格好いいではないか。


 
 豊明おやこ劇場の親子30人ほどと、川遊びをすることになった。ほとんどの人が川遊びをするのが初めてだという。

 
「10月11日ですね。で、場所は?」
「豊明には境川しかないんですけど」
 
 境川というのは、豊明市と刈谷市の間、つまり、尾張と三河の境を流れる川だ。僕の古い記憶では、水質が非常に悪く、遊びたくなる場所ではなかった。しかし、こうした都市河川も、今ではどこも水質だけはよくなっている。
 
「で、豊明の人は境川のどこで遊んでるの?」
「さぁ、遊ぶ人なんて、見たことないです」
「それじゃ、一度、下見に行きますね」
 
 数日後、下見に出かけた。橋からのぞくと、水は澄み、魚もたくさん泳いでいた。ところが、川岸は草だらけで、どこからも川へ入れない。これでは、遊ぶ人がいないのもうなずける。
 
 それでもめげずに探し回っていると、夢のような場所を見つけてしまった。なんとそこは、国道1号線の真下。橋の下なので、テントを張らなくても日陰を確保できるし、駐車スペースもある。おまけに川の上流には、ざあざあと水音のする低い堰堤があり、橋の上を行き交う車の騒音をかき消してくれる。
 
 そして、堰堤の下には小さな子どもが遊べる浅瀬が広がり、浅瀬の黒い石には、びっしりとアユがついていた。試しに投網を打つと、20センチのアユが、ひとアミで5匹も入った。
 
「こりゃ、すごい。ここに決めた!」
 
 川遊び当日は快晴だった。来ると見せかけてUターンした台風14号のせいで、前日は大増水だったが、さすが都市河川。水は一気に増えたが、一晩で一気に引いた。
 
 集まった親子は、こんなところに遊べる場所があったことに驚き、水がきれいだと驚き、アユが見えることに驚いた。そして、オイカワが無尽蔵に釣れること、ウナギやカマツカ、テナガエビがアミで捕れることに歓声を上げた。
 
「びっくりですよ、地元にこんな場所があったなんて。境川も捨てたもんじゃないですね」
「お父さん、来週、また来ようよ!」
 
 大発見は足もとにある。
 
 これを機にユーチューバーに転職し、国道1号線の橋の下の川を、全部、尋ねてみるのも面白いかもしれない。題して『東海道・橋の下ガサガサ旅』。京都から江戸まで百三十里、はたして遊べる川は何本あるのだろう。


 
 豊明おやこ劇場の親子30人ほどと、川遊びをすることになった。ほとんどの人が川遊びをするのが初めてだという。

 
「10月11日ですね。で、場所は?」
「豊明には境川しかないんですけど」
 
 境川というのは、豊明市と刈谷市の間、つまり、尾張と三河の境を流れる川だ。僕の古い記憶では、水質が非常に悪く、遊びたくなる場所ではなかった。しかし、こうした都市河川も、今ではどこも水質だけはよくなっている。
 
「で、豊明の人は境川のどこで遊んでるの?」
「さぁ、遊ぶ人なんて、見たことないです」
「それじゃ、一度、下見に行きますね」
 
 数日後、下見に出かけた。橋からのぞくと、水は澄み、魚もたくさん泳いでいた。ところが、川岸は草だらけで、どこからも川へ入れない。これでは、遊ぶ人がいないのもうなずける。
 
 それでもめげずに探し回っていると、夢のような場所を見つけてしまった。なんとそこは、国道1号線の真下。橋の下なので、テントを張らなくても日陰を確保できるし、駐車スペースもある。おまけに川の上流には、ざあざあと水音のする低い堰堤があり、橋の上を行き交う車の騒音をかき消してくれる。
 
 そして、堰堤の下には小さな子どもが遊べる浅瀬が広がり、浅瀬の黒い石には、びっしりとアユがついていた。試しに投網を打つと、20センチのアユが、ひとアミで5匹も入った。
 
「こりゃ、すごい。ここに決めた!」
 
 川遊び当日は快晴だった。来ると見せかけてUターンした台風14号のせいで、前日は大増水だったが、さすが都市河川。水は一気に増えたが、一晩で一気に引いた。
 
 集まった親子は、こんなところに遊べる場所があったことに驚き、水がきれいだと驚き、アユが見えることに驚いた。そして、オイカワが無尽蔵に釣れること、ウナギやカマツカ、テナガエビがアミで捕れることに歓声を上げた。
 
「びっくりですよ、地元にこんな場所があったなんて。境川も捨てたもんじゃないですね」
「お父さん、来週、また来ようよ!」
 
 大発見は足もとにある。
 
 これを機にユーチューバーに転職し、国道1号線の橋の下の川を、全部、尋ねてみるのも面白いかもしれない。題して『東海道・橋の下ガサガサ旅』。京都から江戸まで百三十里、はたして遊べる川は何本あるのだろう。

 10年ほど前から、毎年、高知県の仁淀川に呼ばれている。子どもたちに川遊びを教えたり、移動水族館を作って欲しいという依頼だ。依頼主は漁協や森林組合、学校、村役場と毎回変わるが、今年はなんと、四国最大のイオンモールから招かれた。これには、仲を取り持つ高知のMさんもびっくり。

 
「イオンちゅうたら、えらいことやき!」

 
 なんでも、高知県民のイオン好きは相当なものらしい。ましてや、高知一お洒落でファッショナブルな場所に生臭い川魚を展示しようというのだから、本当に『えらいこっちゃ』である。

 
 水族館作りで大変なのは、採取の3日間だ。朝から深夜まで車で移動しながら、川を歩くことになる。ウナギやナマズ、スッポンなど夜しか出会えない生きものがいるので仕方がない。移動距離は豊田から足助、稲武、三好、碧南をぐるぐると巡る感じだ。今年は増水で苦戦したが、何とか25種類の生きものを確保できた。

 
 9月18日の夜、移動水族館の搬入。設置スペースは、右手にユニクロ、左手に無印良品という垂涎の一等地だ。搬入は4時間で完了。ライティングをしてスタッフと水槽を眺める。

 
「いいね、いい感じ」

 
「観賞魚じゃなく、雑魚ってところがいいね」

 
「川の雑魚が、明日はみんなを振り向かせるなんて、プリティーウーマンみたいね」

 
 悦に入った後、最後のチェック。なんといっても相手は生きもの、ポンプが止まれば死んでしまうし、水槽から飛び出すことだってある。電源を何度も確認し、水槽の蓋を、養生テープでしっかりと固定して帰った。

 
 深夜0時、「あとは、明日を待つだけだ〜」と遅い夕食をとっていると、突然スマホが鳴った。相手はイオンの警備員。

 
「あのよ〜、ユニクロの前をウナギが一匹歩いちゅうがよ、ありゃ、おたくの…」

 
「マジか! すぐ行きます!」

 
 まっこと生きもの相手の仕事ちゅうがは、思い通りに行なんことが多いがよ(笑)。

 
 翌日は大盛況。グランドオープンにあたり、イオンの前には2000人の人が並んだという。当然、仁淀川移動水族館にも人が並び、たくさんの親子が目を輝かせていた。

 
「それにしても、ウナギはどうやって抜け出したのか? それより、あのウナギが気づかれぬままユニクロの棚の下を這っていたら…」

 
 阿鼻叫喚は必至。そう考えるのも愉快である。

 自粛ブームで川遊び人口が減るのではと思っていたら、その予想は大外れ。お盆休みなど、どの川も人であふれかえっていたのには本当に驚いた。遠出せず、低予算で暑さをしのぐなら、やはり身近な川が一番だと、みんな気がついたのだろう。

 
 さて、この夏一番の大事件を紹介しよう。

 
 ある暑い日のこと、スマホの着信履歴が溜まっているのに気がいた。(ん? 緊急事態か?)

 
 開いてみると、K君からのメッセージと写真。

 
『家の前の川で、でっかいウナギ釣った〜!』

 
 こりゃ、まさに緊急事態だ。

 
 K君は山村で両親と妹と暮らす5年生。10年前に名古屋から自然豊かな地へ引っ越してきた。彼との付き合いは数年になるが、好奇心旺盛で行動力もあり、実に気持ちのいい少年だ。何しろ、無類の釣りバカなのがよろしい(笑)。

 
 彼のバイブルは古本の『釣りキチ三平』だ。このマンガの連載開始は、ぼくが中学生のとき。もちろん僕のバイブルでもあった。おそらくK君の頭の中は、9割が魚釣りと魚とりのはず。いま、世界一、幸せな少年だろうなと思う。

 
 そんなK君に、魚紳さん(三平の師匠)を真似て「うなぎの穴釣り」という宿題を出したのが去年のこと。「小学生のうちに1匹釣れば立派なもんだ」といったのだが、なんとワンシーズンで釣ってしまった。

 
 電話をすると大興奮の声がした。

 
「エサは捕まえたヨシノボリ、手にアタリがゴゴゴゴンときてね、穴の中にグイグイ引っ張るから…、ダーって上げて、バケツに入れようとしたら糸が切れて…、逃げようとするから、体で止めて…、力いっぱい握りしめて、家まで走った。後で捌いて 蒲焼きにするよー」

 
 必死でまくしたてるが、体験談だけに要点は的確におさえている。このまま釣りバカを続けても、 小説家にはなれそうだ。

 
 それから1ヶ月。彼は三本のウナギを釣り上げた。面白いのは、彼がウナギを釣ったニュースが小さな山村に広まると、大人が続々川に集まってくるようになったという事実!

 
 遊びにいったら「昨日は、近所のおじさんが一緒に潜り、 淵でウナギを手づかみで捕った」という。今日は今日で、漁協のおじいちゃんが子どもたちにまじって川に入り、手づかみでアユをとっていた。こういうことなんだよな。

 
 子どもの遊びが大人を刺激し、川の価値までを大きく変えていくことは実際にあるのだ。

 急に身の回りが慌しくなってきた。長梅雨のせいで延び延びになっていた川遊びイベントが重なったり、コロナの第2波到来のせいで、順調だった大学の授業がふたたびリモートに変わったり。予期せぬ事態の対応に、ほとほと疲れ果ててしまった。

 
 こんなときは、のんびりと釣りに行くしかない。そう思っていたら友人のE君から「琵琶湖に行くんだけど会えない?」とお誘いがあった。

 
 E君は現在、某自然体験ミュージアムで昆虫博士として子どもたちに生き物の面白さを伝えいるが、出会いは20年ほど前になる。BE─PALという雑誌の連載で、カメラマンの彼と北海道から沖縄まで、10年以上、生きもの探しの旅をした。この旅がなければ、ぼくの自然観は現在と大きく違っていたことだだろう。

 
 琵琶湖大橋の近くで彼と落ち合い、まずはいつものように水路めぐり。田んぼに生える雑草や小魚、昆虫を見て回った。

 
「やっぱ、琵琶湖は面白いや」

「栃木のほうが、タガメはいるし面白いだろ」

「いや、もう飽きた(笑)。今晩は、夜釣りでもしようよ。やっぱり、ビワコオオナマズ」

 
 ビワコオオナマズというのは、北海道のイトウ、四万十川のアカメに並び、日本三大怪魚と称される魚だ。純淡水魚としては日本最大で20キロを超える。一度は釣ってみたい魚だった。これまで琵琶湖ロケの合間に幾度となく挑戦し、二人してボウズを続けてきたのである。

 
 日が落ちてから、水辺に釣り座を構えた。エサは手のひらサイズの特大ブルーギル。大きすぎるエサは「1メートルを超える大ナマズしか釣らないからね」という意思表示。どうせ、釣れないのだから、夢は大きく持ちたい。

 
 ところが開始早々、ぼくの竿が曲がった。

「大丈夫?」

「引きは強いけど、何とかなるよ」

 
 そう答えてみたものの、相当な重量感だ。何度もやり取りを繰り返し、手にしたのは85センチのビワコオオナマズだった。

 
 しかし、産卵直後なのかヒレはぼろぼろで、体にも傷が多く、とても美しいといえる魚体ではなかった。これでは、いい写真も残せない。

 
 がっかりしていると、E君が言った。

 
「ダメだよ、夏丸さん。初めて釣ったんだから、もっと喜ばなきゃ、子どもみたいにさぁ」

 
 その通りだ。『一魚一会』。残りの人生、魚との出会いは、大切にしなくてはいけない。

 名古屋に住む友人のUさんに、ぜひとも矢作川の天然ウナギを食べてもらいたいと 思った。Uさんは劇団うりんこのメンバーで、全国の子どもたちに夢を売る仕事をしている。それがコロナ騒ぎで劇団存続の危機、現在は公演を行うことすらできない状態になっているという。三密も分かるが、子どもたちの楽しみを社会が平気で奪ってはいけない。

 
 快晴の中、矢作川に集まったのはUさん家族のほか30人ほどの地元の親子。そのほとんどが豊田みよし親子劇場の関係者だ。彼らもまた、コロナの影響で活動ができずに困っているのだが「お世話になっている劇団さんを励ましたいよね」と集まってくれた。

 
 まず、前日仕掛けた数本の置き針を上げる。

 
「おーい、仕掛けを上げてくれ」

 
 我先にと走っていく子どもたち。やがて…。

 
「ぎゃ〜、うなぎ、うなぎ、うなぎ〜」

 
 神様はいるもんだ。子どもたちは大ウナギ2本と、大ナマズを引きずって帰ってきた。

 
それからは、自由に川あそび。アミでガサガサをしたり、小魚を釣ったり、泳いだり。勝手知ったる川なので、思い思いに遊んでいる。

 
 ぼくは、のんびりと炭をおこし、ウナギとナマズをさばくことにした。気がつけば、まな板の周りに子どもたちが集まっている。みんな、解体ショーが見たいのだね(笑)。

 
 ナマズの首をゴキンッと折ったり、ウナギの頭に釘を打ったり。なかなか残酷なショーだが、子どもたちの目は真剣だ。

 
 誰かが「すげ〜!」と言葉を漏らした。

 
 それ正解。「残酷」とか「キモイ」とかいう言葉で片付けるのは他人ごとの証。本気で見て、本気で感じれば、心の声は「すげ〜」となる。

 
 その後、矢作川の天然ウナギと大ナマズは、美味しそうな蒲焼となって30人の…

 コロナ騒ぎで3ヶ月も家に引きこもって いたせいで、色々と考えることができた。たとえば、『いらない会議など、やはりいらないのだ』ということ。また、『不要不急なものこそが、実は心の豊かさに直結しているのだ』ということ。そして『いまだにマスク一つ届けられないほど、国などあてにならないものだ』ということ。などなど。

 
 他にも、色々あった。

 
 体重が3キロも増加したこと(笑)。庭の雑草がなくなり、代わりに畑が出来上がったこと。で、そこに植えた野菜がぐんぐん育ち、間引いた小松菜のサラダが、劇的にうまかったこと。毎日、土をいじる喜びを味わえたのは、まさにコロナのおかげであった。

 
 まあ、つらかったのはプライベートの魚釣りと、子どもたちとの川遊びを自粛したことくらいか。ぼくのように歳をとれば「春メバルもアオリイカも来年があるさ」といえるが、子どもたちは、そうはいかない。1年生の春は今しかないし、5年生の春も今しかないのである。

 
 しかし、ありがたいことに緊急事態宣言が解け、学校が始まった。ついに川遊びの季節だ。

 
 さっそく「川で遊ぼう」と友人に声をかけてもらったら、10組ほどの親子が川に集まった。子どもは保育園児から高校生まで、ざっと20人はいる。はたから見たら、ちょっとしたイベントだ。しかし、イベントと違うのは、集まった親子が『お客様』ではないこと。自分のペースでやりたいことを見つけ、やりたいことをするのである。

 
 たまたま名古屋から来ていた親子も、仲間に入って魚とり。2年生の兄は、ナマズの赤ちゃんを捕まえ、妹はシジミをバケツ一杯とった。

 
 少年がいった。

 
「おじさんは、とらないの?」

「おまえがとったのを見るだけで、おれは自分がとった気になれるんだ」

 
 少年は首を傾げたが…

 それにしても困ったもんだ。予定されていた講演会もイベントもすべて中止。やっと書き上げた小説も出版が先送りとなり、まるで収入がない(笑)。さらに大学は休校状態で、ネットによるオンライン授業の準備をせよとの連絡がきた。こちとら若者の顔が見たくて講師を引き受けたのだ。課題をやり取りするだけの授業なんか『やってられっか〜』と叫びたい気分。しかし、まあ、誰のせいでもないので仕方がない。早く学生や子どもたちと遊んだり、笑ったりしたいものだ。

 
 まあ、そんなわけでぼくは、この一ヶ月、家から出ず、庭いじりをしているのである。

 
 まずは大掛かりな草取りから。ここ数年、地下茎で伸びる厄介な雑草がはびこっているのでこいつをやっつける。スコップで30センチほど地面を掘り、土をふるいにかけて白い地下茎を取り除く。この地下茎、少しでも残るとすぐに芽を出すので、念入りにやらねば。庭の端から端まで、気の遠くなるような作業だが、コロナのおかげで、時間だけはたっぷりある。

 
毎日毎日、掘り進めていったら、つい先日、庭の隅から、コンクリートの基礎が出てきた。

 
「おー、これは昔、魚を飼っていた池の跡だ」

 
懐かしさで草取りが、発掘作業へと転じた。発掘されたのは4×4尺の四角い池が二つ。池の中には黒々とした腐葉土が詰まっていた。

 
「おっ、こりゃ、使えるぞ」

 
 草取りにも飽きたので、急遽、花壇を作ることにした。実際は野菜を植えるつもりなのだが、せっかくだからレンガでおしゃれに仕上げたい。ホームセンターでレンガを100個買い込んだ。そして、ていねいに寸法を測り水平を確かめた。

 
「あれ? 池が傾いているなぁ」

 
 更地に作るのは簡単だが、傾いた池を基礎にして作るとなると少々厄介だ。池をモルタルで水平に直してから、ひとまずレンガ積み上げた。

 
「ん? 何か変だぞ」

 
 違和感がある。ちゃんと水平を測ったのに、花壇が傾いて見えるのだ。よくよく調べてみたら…

 コロナの暗い話題が続く。こんな時だからこそと、少年を誘い魚釣りに行った。

 
「お前さ、春休みが長くて嬉しいだろ?」

「いくら休みでも、家から出れないんじゃ、つまらないよ。友だちん家も行けないし、こんなことなら、学校へ行った方がいい」

 
 本音なのだと思う。遊びざかりの子どもから自由を奪うことほど酷なことはないのだ。少年が子どもらしい顔で聞いてきた。

 
「あのさ、コロナって、毒なんか?」

「毒じゃないよ。小さくて目には見えないけど、ウィルス。あれでもちゃんとした生きものだ」

「ウィルスなら知ってるよ。コンピュータウィルス。学校で習ったもん」

 
 それは違うといいかけたが、口を閉じた。両者はよく似ていると思えたからだ。いきなりハードを壊すことよりも、まず情報を混乱させ、正常な活動(生活)を停止させるという意味で。

 
「ウィルスって、怖いんでしょ?」

「難しいなぁ。怖いやつもいれば、怖くないやつもいる。それに生きものである以上、何らかの意味があって生まれてきたんじゃないかな」

「ふ〜ん、でもおれ、まだ死にたくないよ」

「まあ、心配するな。コロナはおれみたいな年寄りから死ぬみたいだから、お前はまだ大丈夫」

 なんの根拠もないが、とりあえずそう答えた。子どもなりに不安を感じているのだろう。

「ところでさ、今、コロナによる日本国内の死者が40人くらいだろ。じゃ、一年間で日本人が何人くらい死んじゃうか知ってるか?」

「いちまん人くらいかな?」

「ううん、137万人」

「ええっ、そんなに?」

「ああ、その中で自殺者が2万人、交通事故死が3500人、正月にモチ詰まらせて死んじゃった人だけでも1300人もいるんだぜ」

 
 モチで1300人と聞いて…

 環境省主催の読書感想文コンクールの表 彰式に出席するために、葉山へ行った。葉山の海は初めてなので、前日入りして磯遊び。タイドプールの岩陰に抱卵した大きなモクズガニを二匹見つけた。

 
 そのことをSNSに上げると、友人からすぐさま返事が届いた。「御用邸のある葉山に、怪しい人が立ち寄ってはダメです」「鎌倉は景色を楽しむ場所です。生き物なんかに目を向けるのは田舎者、という海辺です」などなど。

 
 失敬な、と思ったが、何となく納得。確かに葉山は都会の匂いのする小洒落た田舎だった。

 
 さて、今回の仕事は表彰式の参列と講演会だが、僕の密かな楽しみは喫煙所だった。これまで数回参加して分かったのだが、喫煙所には愛煙家の養老猛先生がもれなくついてくる(笑)。

 
 養老先生といえば、医学博士で解剖学者、東京大学名誉教授でもある。「バカの壁」(新潮社)

はベストセラーになったし、昆虫好きでも知られている。そんな先生とサシで話ができるのだから、こんなにありがたい話はないのである。

 
 幸いなことに喫煙者は少なく、休憩の度に僕 は先生を独占することができたのだった。

 
「分類学は、日本人には向かないんだよなぁ。客観的にものを見る力は西洋人に分がある」

「どうしてですか?」

「アルファベット26文字の配列で名を記すことができるから。だから、物事を客観的に捕らえことに向いている」

「確かに日本語の名前はそこに意味や感情を取り込んでいますよね」

「まあそこが面白いところでもあるんだけれど。ところで、夏丸君。生物を分類するとピラミッドの形ができるわけだけど、その頂点にあるものはなんだと思う?」

 
 考えた、必死でかんがえた。哺乳類や両生類、魚類などのさらに上にあるものって…

 「何を書こうかな」と困ってしまうくらい、毎日を家で静かに過ごしている。子どものころから落ち着きがないと叱られ、大人になってもあちらこちらへ飛び回ってきたぼくが、こんなにおとなしく引きこもっているのは、おそらく人生で初だろう(笑)。

 
 それなりの理由もちゃんとある。ひとつはこの3ヶ月ほど、長編小説の書き下ろしにかかりっきりだったこと。5年も前から書き始めた物語が、ようやく完成した。やる時はやるのだねと、自分で自分を褒めておこう。まあ、やらないときは本当にやらないのだけれど(笑)。ところが、出版社に送ってみると「今年の夏はオリンピックのため通常業務が麻痺しそうで、予定通りの出版が難しい」とのこと。あらあら、東京はそんなことになっているんだね。いささか拍子抜けしたがこればかりは仕方ない。何しろ、本来の締め切りは北京オリンピックの年だったのだから強いこと言える立場ではない。仕方ない、ゆっくりと待つことにしよう。

 
 もうひとつは、ひざの調子が思わしくないこと。十年前の古傷(半月板)が悪化し、飛んだり跳ねたりがままならない。色々試してわかったのだが、一番ひざに悪いのが魚とりのガサガサ。川の中でアミに魚を追い込む動作が、確実にひざを破壊する。

 
「どんな病気も魚とりをすれば一発で治る」と公言していただけに、このダメージは大きい。手術の予定も立てていたが、動かず仕事をしていたら痛みが薄らいでしまった。根本的な解決にはなっていないが、どうするか思案中である。

 
 そんなわけで、川遊びもせず、引きこもり生活を続けている。まあ、還暦を迎えたことだし、こんな生活もありかなと思っていたのだが、新たな問題が発覚した。運動不足で体重が一気に4キロも増えてしまったのだ。これは実にヤバイ。出不精がデブ症になった…などと笑っている場合ではない。力士を見ればわかるように、体重はそのままひざへの負担となる。妻からはきつく「ダイエットしなさいよ」といわれた。

 
 とはいうものの、素直にダイエットするのも癪に障る。健康のために生きるのは嫌なのだ。なにしろ若いころから…

 明けましておめでとうございます。この連載も今回で181回、16年目を迎えました。そんな私の与太話を読んで下さる方々、また、辛抱して掲載して下さる矢作新報社にあらためて感謝いたします。

 
 先日、ある集まりで子どもからサインを頼まれた。よく見れば小さな手には本が5冊。古いものから新しいものまで、全部私の本だ。ぼくはサインにちょっとした言葉を添えることにしている。

 
「川遊びは楽しいぞ!」「川はみな海へと向かう」

「よく遊び、よく遊べ」「大発見は足もとにある」

 
 ここまで書いて手が止まった。5冊目の言葉が思いつかない。結局、考えた末にこう書いた。

 
「それより大切なのは釣りだね」

 
 子どもは『それって…?』と首を傾げ、父親は大声で笑った。おそらく父親は『それ』に仕事とか、勉強とか、女房とかを当てはめたのだろう。そして、真顔でこういった。

 
「ぜひ、夏丸名言集を作ってくださいよ」

 
 さすがに名言集は作れないが、戯言(たわごと)集くらいなら作れるかなと思った。

 
 名言には、その作者の生き方や人となりがついて回るものだ。ちなみに、私のひそかなる座右の銘は、『おもしろき こともなき世を おもしろく(すみなすものは 心なりけり)』であるが、これぞまさに幕末を駆け抜け、若くして病に倒れた高杉晋作の生きざまがあってこその名言なのである。

 
 しかし、そんなお遊びも面白いかと、川遊びや講演会で発した私の戯言を書いてみる。

「生まれたときは原始人」

 今も昔も赤ちゃんは同じ。人は成長するほど自然から離れてしまう。子供に習えという意味。

 
「遊んだ場所がそのままふるさとになる」

 都会の子供にも、ふるさとはある。遊べば遊ぶほどふるさとへの意識は高まるという意味。

 
「一魚一会」

 魚との出会いに偶然はない。君がここに来て、川に入ったから、運命の一匹に出会えたんだ。

 
「生物はオスとメスの二種類のみである」

 おれはね、女房の気持ちより動物園のオスザルの気持ちの方がよく分かるよ…という意味。

 
「おっぱいがないと生きられないのが男」

 おっぱいから離れられないから…

 栃木県にハローウッズという自然体験施設がある。簡単に言えば、キャンプ場や若干の遊び場が併設された巨大な里山だ。カブトムシやクワガタはいるし、タガメやゲンゴロウといったレアな昆虫もいる。もちろんこれらは人が放したものではなく、この森で生まれたもの。鳥はたくさんいるし、夜になればムササビも現れるから面白い森だ。

 
この森のボスであるSさんに会った。Sさんは忙しい人で、日本中の森を飛び回っている。こういうとビジネスマンのようだが、見た目はヤクザ者(笑)、森の生きものを知ろうと蛾を食べすぎ、蛾アレルギーになった変わり者だ。ただし、ハートは熱く、20人の子どもたちと30泊31日のガキ大将キャンプを毎年行うほどのバイタリティーの持ち主である。

 
「夏丸さん、この森と人をつなぐ絵本を作りたいんだけど、書いてくれないかなぁ?」

 
 不意な仕事の依頼だが、断る理由はない。

 
「よろこんで。で、しめきりは?」

 
「それがね、3月には出版したいんだ」

 
 思わず絶句した。その計算で行くと今年中に原稿(絵を含む)を仕上げなくてはならない。ましてや今、アイデアさえまとまってない状態なのに、30ページにも及ぶ原稿と絵を1ヵ月半で仕上げる自信はまったく無い。

 
「う〜ん…」

「絵は、Mさんに頼もうと思っているんだ…」

 
 それならばといいたいが、僕の原稿が半月かかれば、Mさんの製作時間が1ヶ月になる。

 
「返事は明日まで待ってください」

 
 その夜はみんなで食事をし、ハローウッズで働く友人の家に泊まった。そして、友人が眠りについてから、原稿用紙を広げた。虫のいい話であるが、この絵本の原稿を一晩で書いてやろうと思ったのだ。そして、窓の外が白みかけたころ、原稿は完成した。 翌日…。

 
「いいですね、これで行きましょう。すぐにMさんに送ることにします」

 
 睡眠不足の僕はSさんの笑顔にほっとした。

 
 後日、友人に話したら…

 霞ヶ関に行った。東京へは何度も足を運んだが、官庁街を歩くのは初めて。ホワイトカラーのこの街をアロハにジーンズで歩くのは、あまりにも場違い。すぐにでも帰りたいところだが仕方がない。環境省の主催する・読本『森里川海大好き』読書感想文コンクールの審査会に呼ばれているのだ。

 
 たくさんの警備員ににらまれながら庁舎の門をくぐり、エレベーターで17階へ。会場には、すでに10名の審査委員が集まっていた。僕は養老孟司先生と挨拶を交わし、その隣に座った。

 
 コンクールは今年で2回目、読本は全国の学校や図書館に送られている。今日は最終選考に残った30点の中から、3点を絞込み、受賞者を決めるのだ。

 
 まず各審査員が推薦作品を投票。案の定、大荒れだ。抜きん出た作品が無い以上、作品の良し悪しは、審査委員の主観で決まることとなる。

 
「これは、環境問題を的確に表現してますね」

「自然には、人の心と心をつなぐ力がある。という表現がいいですね」

「これは作文で、読書感想文じゃないなぁ」

 
 審査員の先生方の意見が飛び交うが、僕はどこか上の空だった。そもそも、子どものころから読書感想文が苦手なのだ。子どもに向けて小説を書いてはいるが、それは楽しんでもらうためで、感想文を書かせるためではない。

 
 司会者が言った。

「それでは、物語の作者の意見を聞かせていただきましょうか?」

 
 覚悟はしていたが気が重い。で、正直に一言。

「僕は半世紀も川で遊んでますが、未だに川のことが分からないんです。だから、自然はこうとか、大事だとか、簡単に言葉にしちゃうのは気持ちが悪いなぁ〜と。ですから今回は、本の感想より体験談や思いを重視、読み終えた後、この子に会いたい、一緒に遊びたい。そう感じた作品に点を入れました」

 
 ご理解いただけたかは分からない。すると、

「あっ、私も一緒、できるだけ感想文らしくないやつから順に選びました」と、養老先生が笑った。結局、受賞3点は得点に関係なく、内容を吟味し、話し合いで決定することになった。

 
 後で配られた名簿を見て分かったのだが、僕イチオシの作品の作者は…

 この夏最後の川遊びは、T小学校の2年生。いつもの川が使えなくなったため、急遽、学校の近くの水路で行うことにした。細い水路で、川のような開放感は無いが、生きものが採れることが、まずは最優先。2ヶ月前の下見でメダカ、ドジョウ、オタマジャクシを発見したので、ここならと決めた。広い田んぼの真ん中で、安全なのも有難い。

 
 前日に水路の土手を草刈り。流れの中にはオイカワらしき魚の群れが見えた。この魚を捕らせてやりたいが、子どもが100人も入ったら、あっという間に逃げちゃうよなぁ…。

 
 そこで、上流と下流にコンクリートブロックを並べて、簡単な堰を作ることに。家から持ってきたブロックを車から水路に投入していると、一人のおじさんが血相を変えて飛んできた。

 
「こら、ゴミを捨てるんじゃねぇ!」

「あっ、いえ、これは…」

「コノヤロウ、お前みたいな奴がいるから、川に魚がおらんようになるんだ!」

 
 殴りかかりそうな勢いだが、こんなことは慣れっこなので、ていねいに説明し、ご理解いただいた。考えてみればこのおじさん、誰よりも川や魚を愛している。そもそも、アロハに短パン姿のあやしい男が水路にブロック投げ入れていれば、誰がどう見ても不法投棄。非はすべて僕にあるのだ(笑)。

 
 しばらく、昔の川話などしていたら、おじさんが僕に言った。

 
「ひょっとして、おたく、夏丸さん?」

「そうですけど…」

「よかった、ぶん殴っていたら、嫁と孫に叱られるとこだったよ」

 
 なにはともあれ、よかった、よかった。

 
 当日は、驚くほどたくさんの生き物が、子どもたちのアミに入った。タモロコ、モツゴ、ニゴイ、オイカワ、フナ、 ドジョウ、ザリガニ、カワニナ、タニシなど。特筆はメダカ。この辺りのメダカは、カダヤシが大繁殖していなくなっちゃったからね。子どもたちが驚いたのは…

 秋の訪れとともに、今年も夏休みが終わった。なんとも寂しいことである。そんな夏休みの終わりにR君と二人で矢作川へ夜釣りに行った。

 
「ウナギかぁ〜、そんなの俺にまかせりゃ、小学生のうちに釣らせてあげるよ」

 
 なんて偉そうに約束したのは数年前のこと。そんな約束を果たせないうちに彼は6年生になり、小学校最後の夏休みを迎えてしまった。この先、『うそつき』と呼ばれないためにも、釣ってもらうしかないのである。

 
 その日の川は大増水。増水中の川はヘチ(三河弁でグロ)で釣るのが僕の流儀。流れの脇に短竿3本を並べてあたりを待つことにした。

 
「こんな短い竿で釣れるの?」

「増水のときは、流れの穏やかな場所で魚はエサを食べるんだ。岸から1mの所でいい。ただ、音を立てると逃げちゃうから気をつけろ」

 
 竿を岸辺に置き、僕たちは5mも後ろに下がって、静かにアタリを待った。

 
 この待つという行為が子どもは大の苦手だが、彼のように釣り好きで、釣った経験があると苦にならないようだ。しばらくすると…。

 
「きた!」

 
 竿が大きく曲がるのを見て彼が駆け出した。僕はアミを持って後ろから見守った。

 
「ああああっ、ウ、ウナギだぁ!」

 
 開始60分、彼はあっという間に夢のウナギを

ゲットした。出来すぎである。バケツのウナギを眺める小さな背中を見ながら、僕は自分が初めて釣ったウナギのことを思い出していた。

 
 家の近くの小川の洗い場、その石組みの穴にミミズを竹で差し込んだ。糸は木綿糸、針はハリガネで作った。突然、ゴゴンと大きなアタリ。抜きあげるとウナギだった。景色が一変するほど嬉しかった。料理して家族で分けたら、消しゴムより小さな蒲焼になってしまったが、小さくともウナギはウナギ。今でも忘れない出来事だ。今思えば、あの一匹のウナギで僕の人生は変わってしまった気がする。

 
「やったな、人生初のウナギだ!」

「うん!」

 
 男同士の固い握手。それから彼は…

 お世話になっているY先生に頼まれて、小学校の先生方と川遊びをすることになった。理科研というらしい。おそらく理科の先生の研究会なのだろう。

 
 約束の時間に公園の駐車場に集まると、アミとバケツを持った先生方が待っていた。なかなか愉快な光景だ。息子のような若い先生や女の先生も多い。

 
「魚とりは、初めてですか?」

「はい、初めてだから心配で」

「あっ、大丈夫。初めての方が超お得ですよ。何がとれても喜べますからね(笑)」

 
 僕は、いつも通り、当たり前の水路で、当たり前の魚とりをしようと思った。

 
 水路に入ると、すぐに魚とりが始まった。経験のある先生は、われ先にと魚を追いかける。僕は初心者先生にアミの置き方、足の使い方を簡単にレクチャーする。

 
「足でガサガサ追い込むからガサガサ。プロは、専門用語で『ガサ入れ』と呼びんでいます」

 
 お決まりの説明だが、真似をする先生のアミにいきなり数匹のエビが入った。

 
「きゃ、かわいい。あっ、これ、卵持ってる」

 
 さすが理科の先生、観察眼がいい。

 
「でも先生、今の『かわいい!』って気持ちを忘れちゃダメですよ。子どもはすぐに『またエビかぁ』って、必ずいいだすんだから」

 
 そういった途端、ベテラン先生の声がした。

 
「ちぇっ、またエビかぁ」

 
 みな、大笑い。しかし、これは仕方ないこと、それを人は成長というのである。

 
 その後、15人の先生は夢中でアミを振るい、フナ、コイ、ナマズ、ライギョ、モツゴ、タモロコ、タナゴ、ゼゼラ、スジシマドジョウなど、いろんな生きものをつかまえた。

 
「どうでした、魚とり?」

「川って、気持ちいいんですね」

「すごく面白かったです。見るものも、考えることもたくさんあったし、これはぜひ、子どもたちにもやらせたいなぁ」

 
 実に嬉しい言葉だった。

 
 自然体験とは五感で学ぶこと。これが現代の子どもたち…

 豊田市上郷地区の家下川に沿って流れる三面コンクリート張りの農業用排水路がある。このコラムで、何度も紹介してきた良い川だ。僕がこの川で子どもたちと遊ぶようになって、およそ20年。地元の畝部小学校、高嶺小学校、柳川瀬子ども集いの広場の子どもたちは、毎年、この川遊びを楽しみにしている。

 
 先月はU校の2年生と遊んだ。U校では10年も前から、毎年2年生と5年生がこの川で総合学習を行っている。

 
 学校から徒歩で30分。みんな大興奮で川に入り、生きものを追いかけた。今年は魚が少なかったものの、それでもテナガエビにヌマエビ、コイ、フナ、モロコ、タナゴにドジョウ。ナマズにスッポンまで捕まえた。

 
 全てが、大発見だった。橋の上からでは見ることの出来ない川の中を知ること、生きものに触れることは、子どもの表情を変え、人生観をも変える。そして、子どもたちの話を聞いた親は、「まだ、魚がいたんだなぁ」と子どもの頃を懐かしむ。

 
 それが証拠に総合学習の後の土日は必ず、アミを持った親子が、この川にやってくるのだ。

 
 こうした川(安全に魚が捕れる川)が身近にあることは、大切なことだと思う。川にも入らず、生きものにも触れずして自然や命を学べるはずが無いのだから。それ以上に、少年期の体験が一生の思い出になり、その場所が、そのまま『ふるさと』になることを忘れてはいけない。

 
 さて、そんな川(水路)に問題が起こった。子どもたちの遊び場の目の前まで、河川課の手で浚渫工事がされてしまったのだ。T校の遊び場はもはや手遅れ。魚の潜む草など一本も無いマルハゲ状態だ。川の魚は水だけでは生きられない。一見不必要に感じる草むらがエサの虫を呼び、産卵場となり、隠れ場所となるのだ。

 
 10年前、COP10の前年、この川を浚渫しようとした行政に待ったをかけた。その後、家下川リバーキーパーズが中心になり、民官学の『魚の棲む川づくり活動』を毎年行った。当然、河川課も…

「今年もウナギ釣りの季節がやってきたぞ」 などと思っていたら、釣り好きの若者M君から1枚の写真が送られてきた。写っていたのは、まな板の上の2匹のウナギ。1匹は腹が黄色く、もう1匹は腹まで黒い。おしゃれな言い方をすれば、金ウナギと銀ウナギだ。ともに逢妻女川の下流で釣ったもので、M君は釣り人としてこの色の正体が、どうしても知りたいのだという。

 
 金色は普通の天然ウナギだ。夜行性で日に当たらないから、日焼けせず黄色っぽくなる。ウナギの語源は胸が黄色いから『ムナギ』、それが転じてウナギになったという説が有力だ。

 
 さて問題の銀ウナギの正体だが、おそらく銀毛化した下りウナギだろうと思う。ウナギは成熟すると産卵のため川から海へ下る。その際、海水(塩水)で暮らせるよう体を銀毛化させるのだ。しかし、少しばかり疑問が残る。産卵のため海に下るのは春ではなく秋なのだ。しかも、このウナギ、腹の卵が小さい上、貪欲にエサを食べるという。銀毛ウナギは卵巣が異常に発達し、エサを食べないというのが通説なのだ。

 
「う〜ん、これは、どういうことなんだ?」

 
 ウナギはナゾが多いので図鑑レベルでは分からない。困ったぼくは、この写真をフェイスブックにアップして生の声を聞くことにした。幸いぼくのFB友だちには学者や水族館員などが多いので分からないことは丸投げだ(笑)。

 
 数日後、魚に詳しい仲間から返事が届いた。「高知の鏡川漁協の人から情報をいただきました。これは間違いなく銀毛の下りウナギですが、栄養不良で海に行くのをやめた個体のようです。正常な下りウナギはすごく太っていますが、写真のウナギは痩せすぎとのことです」

 
 なるほどと納得。これで合点がいった。このウナギ、海に出ようとしたけど、何かの都合でやめちゃったと言うわけだ。ちなみに、サツキマスも銀毛化して海に下ることで有名だが、海に出る寸前に気が変わり、川へもどっちゃう奴がいるらしい。やっぱり、ぼくみたいな怠け者の気分屋は、どの世界にもいるもんだ(笑)。

 
『自然界はアバウトだから、決め付けるなよ』というのが、ぼくの師匠のお言葉。このアバウトさを…

 元号が平成から、令和に変わった。元号が変わるのは人生で二度目のことなので、令和と聞いても「ふ〜ん、なるほどね」という感じで、平成の時のような戸惑いは感じない。僕にとって元号変わりは、嫁に出す娘の苗字が変わる程度のことなのである。とはいうものの、新しい時代の幕開きには心が広がる思いがする。そんなわけで、とりあえず、魚釣りに出かけることにした(笑)。

 
 目指すのは、稲武にある段戸川。先日、ひざの半月板を損傷し、医者からも妻からも「沢歩きは控えるように」と言われているのだが、従うわけにはいかない。魚釣りと恋愛は、障害があるほど燃え上がるものなのだ。

 
 薄暗い林を下りて川に入る。釣り支度をしていると、対岸の茂みをタヌキが横切っていった。何かいい感じ。けものの匂いがぷんぷんとして、釣れる気になってくるから面白い。

 
 急いでエサをつけ、ゆっくりと川を遡った。

 
 この川は僕が初めて渓流釣りをした川だ。昭和50年代、今から40年も前のことだ。生まれて初めて釣り上げたアマゴの美しさに感動し、しばらく座り込んだのを覚えている。当時に比べると、水質も渓相も変わってしまったが、市内にこんな素敵な川があるのは嬉しい。

 
100mほど遡ったが何のアタリもなかった。小魚も少なく魚が薄い感じ。そう思いながらも、いかにもという落ち込みに仕掛けを投入。

 
 コツンッ。

 
 竿を立てると、ゴゴンと魚が首を振るのが分かった。「でかいな」と思う。8寸ほどのアマゴなら、ひょいと抜き上げることが出来るのに、この魚、重量感たっぷりで、一向に浮かび上がらない。そして、十分なやり取りのあと、タモに収まったのは、45センチもあるブラウントラウトだった。これがイワナやアマゴなら、狂喜乱舞するのだが、ブラウンはこの川に定着してしまった外来生物なので複雑な心境である。

 
 『平成』の置き土産を前に、『昭和』生まれの男が『令和』の川で自分に問う。

 「お前は今、嬉しいのか?」
 「嬉しいさ。だって…

 先日、12組の親子を引き連れ矢作川の土手に散歩に行った。柳川瀬子ども集いの広場の講座『春を探しに行こう』である。

 
 1〜6歳のおチビちゃん中心なので、夏の魚とりとは違う面白さがあった。なにしろツクシもタンポポも魚のように逃げないので、ゆったり気分で遊べるのである。

 
「これなぁに?」

「ツクシだよ。卵とじにすると美味しいぞ〜」

「これは?」

「ノビル、これも美味しいよ。酢味噌和えか天ぷらがお勧めだな」

 
 つい食べられることを強調するのが僕の悪いくせだが、これは大事なこと。すべての野菜はお店の棚ではなく、土に生えているのだ。

 
「かわいい。この青い花は?」

「オオイヌノフグリ。直訳すると、でっかい犬のキャンタマだな。あれ…、犬のでっかいキャンタマか?」

 
 子どもたちは、けらけらと笑い、お母さんは、なるほどとうなづいた(笑)。イヌフグリ、タネツケバナ、ホトケノザ。それぞれの名前にはちゃんと意味がある。昔の人は道端の草に足を止め、愛情をこめて名づけたのだと思う。

 
 やがて少年が、テントウムシを捕まえた。

 
「いいものみせてやろうか」

 
 そういって、ギシギシの葉をめくると、うま

い具合にテントウムシの卵と、幼虫、サナギがセットで見つかった。

 
「飼いたい、全部、飼う! ねえ、テントウムシって、何を食べるの?」

「アブラムシだ。幼虫なら1日20匹、成虫なら1日100匹は食べるぞ。ほら、これだ」

 
 そういって、ヨモギに群がった300匹のアブラムシを見せると少年は無言になった(笑)。

 今度は、年中の女の子がいった。

 
「あっ、チョウチョ。小さいね」

「うん、ベニシジミっていうんだ」

 すると、若いお母さんがいった。

「子どものころ見たわ。今でもいるんだね」

「ずっといますよ。こんな風に、のんびり土手を歩くのは久しぶりなんじゃないですか?」

 
 若いお母さんは大きくうなづいた。

 
 世界自然遺産など見なくていい。大切なのは…

 「なぜ魚釣りが好きなんですか?」と、聞かれることがある。実にくだらない質問だと思う。どこがくだらないかといえば、その答えは「なぜキスをしたくなるのか」「なぜメシを食いたくなるのか」に等しく、そこに確たる理由などないからだ。

 
 おそらく「自然に癒されるから」などと、適当に答えておけば、その場は凌げるのだろうが、僕は人間ができていないので「川で魚を追いかけてみてください。そうすれば馬鹿でもわかりますよ」と、つい言ってしまうのである。

 
 とはいえ、この質問、答えなどないがゆえに、なかなか奥が深い。釣り馬鹿といわれる異常で病的なまでの釣り好きは世界中に存在し、名言、格言も多い。

 
『釣れない日は人生について考える時間を魚がくれたと思え(ヘミングウェイ)』

 
『釣り竿とは、一方の端に釣り針を、他方の端に、馬鹿者をつけた棒である(イギリスの諺)』なんてのは、なかなか的を射ていると思う。

 
 民族も違えば生活習慣も違うのに、釣り馬鹿はどこにでもいるようだ。また、いつも遊んでいる子どもたちの中にも、突然、釣り馬鹿は現れる。両親が一切釣りなどしないのに、釣り馬鹿は突発的に出現するのである。これは、どういうことなのだろう。考えてみればテレビでも、生きもの雑学や「捕ったど〜」の無人島生活、池の水抜きが高視聴率を稼ぐ。みんなが自然の中で遊ばなくなったという時代に変である。

 
 気になって調べてみたら面白いことが分かった。脳科学の先生によると、人間の脳には生きものの生態をストックする『引き出し』が山ほどあるらしい。これはホモサピエンスが誕生し20万年かけて作り上げた脳の仕組みで、生きるためには狩猟と獲物の性質を知ることが最も重要だったわけである。近代文明などと偉そうなことをいっても、たかが100年そこそこ、人間の脳は、生きものを知り、知恵を絞って捕まえるという20万年の狩猟生活の歴史で形成されているのである。

 
 こう考えると、突発的な釣り馬鹿の出現もテレビの高視聴率も腑に落ちる。そして…

 自宅のリフォームを行った。キッチン、浴室、寝室に玄関と大掛かりなリフォームになったが、ほとんど妻と娘にまかせっきりで、僕は庭の造作に没頭。DIYならいざしらず業者が入る工事なら、僕が口を出す必要もないのである。

 
 手はじめに玄関先のボウガシ5本をカットした。後の剪定を考えると短くしておきたい。2mほど残し、チェーンソーで切り倒した。

 
 続いて庭のアオギリとカシだ。ともに10メートル近い巨木なので、ピンポイントで倒さないと家か塀が壊れる。はしごを架け、木をロープで固定し、3分割にして切り倒した。

 
やり終えて分かったのは『こりゃ、素人が一人でやる仕事じゃないな。下手すりゃ、命を落とす(笑)』ということ。木は半端なく重いのである。当然、伐り終えたあとの始末も、恐ろしく大変で、これだけの作業に2ヶ月も費やしてしまった。おそらく、あと10年経ったら体が動かずこんな作業はできないだろう。そう考えれば、いい機会でもあった。

 
 正月が明けてからは、マツとマキの剪定を行い、現在は巨大化したソテツの伐採を行っている。ソテツは草っぽいので繊維が絡まり、チェーンソーが役に立たない。仕方ないのでナタでの作業だ。40センチもある幹が4本。休んでは削り、休んでは削る。今現在、幹を残すだけとなった。泣きたくなる作業だが、不思議と楽しく、友だちもできた。

 
百舌鳥(モズ)のキョンだ。僕が疲れてタバコを一服すると、必ずやってきて切り株にとまる。そして、人懐っこい顔でキョンキョンと鳴くからキョンと名づけた。どうやらソテツの表皮に隠れていた虫を啄ばみにくるようだ。僕の作業中は、数メートル離れたハナミズキの枝で、じっとこちらを見ているからかわいい。

 
 今日、ソテツの根を掘り返していたら、冬眠中のトカゲをスコップで傷つけてしまった。

 
「ごめんね、トカゲくん」

 
 しかし、試してみたいことがある。トカゲを切り株に置いて、タバコを一服。すると…

平成最後の正月を迎えた。こうした元号の変わり目や年数の節目に、気持ちを新たにしようと思うのは実に庶民的だ。また、新年の抱負を述べたところで、大して何も変わらないのは、これまでの僕の人生が証明している(笑)。しかし、僕は根っからの小市民なので、やはり、今年は…と、考えてしまうのである。

 
 年末に大学生のT君と夜釣りに出かけた。一緒に遊ぶのは10年ぶりだ。卒業と就職の内定が決まり、釣り三昧の日々を過ごしているという。

 
 少年時代の彼は魚釣りなしでは生きていけないほどの川好き、魚好きで、よく一緒に遊んだ。夏の川はもちろん、真冬の川にも入り、ウシガエルやライギョを捕まえたことを覚えている。ある時、雑誌のページに彼の描いたカワムツの絵を載せたら、編集者に「これは夏丸さんが描いたんでしょ」といわれ、子どもの絵だとは信じてもらえなかったことがある。それほど、彼は目が良く、魚が好きな少年だった。

 
「久しぶりだな、釣りしてるか?」

「はい。まあ…」

「彼女はいるのか?」

「…いえ」

 
 シャイなところも昔のままだ。僕はたまらなく嬉しくなって、車のアクセルをふかした。

釣り場に着き6mの竿に仕掛けをセット。

 
「エサはモエビ、7m先の駆け上がりをねらえ」

「何が釣れるの?」

「メバルとカサゴだな」

 
 余計な説明はせず、僕は彼と少し離れて釣り始めた。一人前の釣り人として扱ってやらねば。

 
「おっ、良型のメバルだ」

「いい引きするだろ」

「うん、リールがない分、面白い」

 
 何も教えることなどなかった。彼は日暮れから3時間ほどの間に、場所を変えたり、ウキ下を工夫しながらメバルとカサゴを20匹以上釣り上げた。僕は横目で見ながら、ハエやフナを飽きずに釣った10年前を思いだしていた。

 
「また、遊んでくれるか?」

「ぜひ。でも、明日は駄目ですよ、友だちとヒラメ釣りに行くから」(笑)

 
 小学校を卒業すると、多くの子どもは…
 

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